諌早商業高校サッカー部の軌跡

※当時の話を先輩方から聞き、諌早商業サッカー部誕生の秘話を掲載していますが、私(山口)の言葉で表現しています。

>>>「第一回OB会」の様子はこちらをどうぞ

諌早商業にサッカー部がない!?

「諌早商業高校には、サッカー部が当然ある」と思って入学して来た生徒と、その幼少期からの友人が発起人となり諌早商業サッカー部を創りあげたことを皆さんは知っているでしょうか?

入学してみるとサッカー部がないと気づいたM氏。 しょうがなくM氏とO氏の二人は野球部に入るも、当然のようにやりたいスポーツでもない事と目標もない事から、二人は野球部はやめてしまう。

2年生のある日(1970年)二人は決心し、ある先生のもとを訪れた。 先生は、何度も何度も断りサッカー部を作って監督になる事を断った・・・

それでも、二人を中心としたサッカー部結成を強く願う生徒たちは、何度も何度もお願いに行った。

ある日・・・

先生:「俺が監督になるって事は、お前たちも覚悟しろよ!」「その覚悟はできているんだろうな?」

生徒:「はい。大丈夫です!」「よろしくお願いします!」

そこから、苦労の日々が始まり。 のちの諌早商業サッカー部が生まれる事になるのです・・・

練習場所を自分たちでつくる

当時のグラウンドは、サッカーで練習できる環境ではなく毎日ボールをさわる事よりも、グラウンドの石ころを拾って時間が過ぎるだけの日々。見た目は、小さい石ころでも掘っていけば大きな石だった!なんて事はいつものことだったと、当時を振り返って笑っていた。

でも、そんなグラウンド整備でも自分たちの夢(サッカー部創設)を叶えるための場所づくりと思えば、苦労に感じる事もなく作業が行えるほど、楽しんで作業したんでしょうね♪

グラウンドづくりの一方で、練習するときは総合運動公園(現在の陸上競技場サブグラウンド辺り)までボールを持って走って行き、前田先生の厳しい練習が待っていたそうです。現在のゴムボールのような粗末なボールでも、当時の練習には欠かせないものだったそうです。

生徒総会で、「サッカー同好会」として承認をうけ、M氏が3年生になる年(1971年度)に、前田先生が監督となりサッカー部の前身である同好会としての活動が始まった。

同好会として出場できる試合が少なかった

同好会としてのスタートのため、高校総体などへの出場権利がなく、大会への出場は出来ない事が多かったそうです。

それでも同好会として出場できた「高校選手権大会」の県大会で、同好会として長崎県大会でベスト8に入った事は自慢でもあり、誇らしい成果だとM氏は恵美を浮かべながら語っていた。 現在のように出場チームが多いわけでもないが、1年も活動していないサッカー部でもないチームが県大会ベスト8に入るなんて、凄いことだと私は思う。

【写真 1971年度卒アルバムより (同好会当時)】

活動実績が認められ、1972年度より「諌早商業サッカー部」として歴史が始まった。

初代監督:前田隆作 キャプテン:松尾昌志

初代キャプテン松尾 緒方学

[左:初代キャプテン 松尾 昌志 /右:緒方 学] >>>「第一回OB会」の様子はこちらをどうぞ

先輩方の思いは、今でも母校の活躍!

諌早商業サッカー部として誕生するまでに、ここには表現していないような大変なことがたくさんあったと思います。

青春時代の生徒たちにとって、目標のために努力することが「苦労」という表現が正しいかわかりませんが、今いる部員・歴史を知らないOBにこのような歴史があり、先輩方が築き上げてきたものが今でも残っていることを、少しでも感じることができればと思いOB会を機にホームページに掲載しました。

 

あの日・・・   

松尾さん・緒方さんが 前田先生に思いを伝えてくれたおかげで・・・。

今の諌早商業サッカー部は存在する。

先輩方の思いを 今でも受け継ぎ、諫早商業サッカー部員として、プライド・誇りを胸に 日々練習に励む

生徒たちが 夢にするものは

今も昔も・・・ そして、これからも・・・

 

「全国大会優勝!!」

 

日本一になる夢を信じて努力していきます。

これからも応援よろしくお願いします。